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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(57) 300年以上も死刑がなかった国・ニッポン 

現在、先進国のなかで死刑制度を存続させている国は、軍事犯罪や特殊犯罪をのぞけば、日本とアメリカ合衆国(廃止している州もある)だけといってよい。

もちろん、パプアニューギニアやニカラグア、ホンジュラスなど先進国といわれない国でも、死刑を廃止しているところは多い。
 
といって、日本で有史以来今日まで、死刑制度がずっと維持されてきたかというと、そうではない。
 
日本史上はじめて死刑制度を中断させたのは、聖武天皇だった。

神亀2年(724)12月、死刑中止の詔書を下し、死罪は流罪に降すとしたのである。
 
その後も、死刑の行われない時期があった。

それも5年や10年ではない。

弘仁元年(810)の藤原薬子の乱で、薬子の兄仲成が死罪(実際には、減じられて遠留)を言い渡されてから、実に26代の歴代天皇による347年の長きにわたって、死刑執行がなされなかったのである。
 
事実上の死刑廃止政策を打ち出したのは嵯峨天皇で、弘仁6年のことである。

それ以来、代々天皇も、その政策を貫いたのだった。

文字通り、平安時代だったわけである。

多くの先進国が現在死刑を廃止しているが、347年の実績にはほど遠く、人類史上ほとんど例のないことであろう。
 
さて、平安時代も末期になると、貴族政治の腐敗とあいまって、治安状況は次第に悪化の一途をたどっていった。

国禁を犯しても死刑にはならない。

しかし、台頭してきた武家社会では主君の命にそむけば殺されるというような矛盾も露呈してきた。
 
そんななかで、1156年、保元の乱が起こる。

これは、時の藤原頼長、源為義、平忠正(清盛の叔父)らの崇徳上皇サイドと、源義朝(為義の嫡男)、平清盛らの後白河天皇サイドとの骨肉の争いであった。

争いは、夜半に始まり明け方には終息するというあっけなさだった。
 
勝利した後白河天皇は、まず源為義を斬首の刑に処す宣旨(天皇の命を伝える公文書)を下した。

続いて、降伏した70人あまりの武士が斬首刑に処せられることになった。

反対する者もいたが、藤原少納言入道信西の「寛容な手段は、やがて不祥事を起こし、後悔することになる」という意見が通り、死刑が敢行された。
 
ここに347年の間途絶えていた死刑は復活したのである。


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