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□ 雑学(1)……英米小史 □

イギリス小史(4)

7 テ強調文ユーダー王朝のはじまり

14世紀に入ると、王に対して不満を抱く諸候の反乱が相次いだ。

1381年には、農奴の解放などを求めて農民による大規模な反乱も勃発した。一三世紀に誕生したといわれるロビン・フッド伝説が歌物語にかたちをかえ、イングランド中に広まった。

15世紀に入っても、王位をめぐる反乱が頻発し、1455年、王家であるランカスター家派と、ランカスターと同じエドワード3世の子孫の家系であるヨーク家派に国内の貴族は二分され、両派が激突する。

バラ戦争のはじまりである。

戦いで敗北した王はロンドン塔に幽閉され、処刑されることが繰り返され、王位は、ランカスター家からヨーク家へ、ヨーク家からランカスター家へ、再びヨーク家へと移行する。

1485年、ヨーク家内での骨肉の争いを制して、リチャード3世が王位についたものの、同じ年にフランスに亡命していたランカスター派のヘンリ・テューダーの率いる軍との戦いで戦死する。

ヘンリ・テューダーは、ヘンリ7世として即位する。

このときをもって、30年に渡るバラ戦争は終わる。

それは同時に、テューダー王朝のはじまりでもあった。

ヘンリ7世の女系の先祖は、ヘンリ五世の未亡人で、当然ランカスター派であったが、男系先祖は、ウェールズのケルト人豪族で、あからさまに王を蔑視する貴族もいた。

即位後、ヘンリ7世は、ヨーク派の王女をめとったが、ヨーク派の抵抗・反乱はおさまらなかった。

王は、有力貴族を裁く星室庁裁判所を設けるなどして、権力の強化に努めた。

ヘンリ8世の時代、ローマ教皇に服しながら、国内で莫大な利益をあげている教会への反発が強まっていた。

1534年、王は、側近クロムウェルらとともに、イングランド国教会を設けるとともに、国王至上法によって、みずからイングランド国教会の頂点に立ち、ローマ教皇支配からの脱却を図った。

また、修道院解散法を出し、修道院の閉鎖や財産没収を行って、教会の権勢を弱体化させた。

ちなみに、ヘンリ8世の妻キャサリン・オブ・アラゴンは、スペインの王女であり、兄の妻だった人物で、兄の死後、自分の妻にめとったのである。

しかし、その後、ヘンリ8世は、女官アン・ブーリンと恋に落ちてしまう。

しかし、カトリックでは離婚は認められなかった。ローマ教皇の力を弱体化させる目的の一つは、妻と離婚し、アンと結婚するためであった。

王のもくろみはまんまと成功し、王はアンと結婚する。

王の晩年には、国教会はカトリック色が強くなっていたが、大陸からプロテスタントの波が押し寄せてきて、次のエドワード6世のときには、国教会は完全にプロテスタントに染まっていた。

ところが、その後、ヘンリ8世に離婚されたキャサリンの娘、メアリーが即位するや、カトリック陣営が巻き返しをはかり、国教会は再びカトリックに衣替えをすることになる。

メアリは、母の母国スペインのフェリペ2世と結婚した後、すさまじいプロテスタント狩りを断行する。

そのため、「流血好きのメアリ」と呼ばれた。

この一般人をも巻き込んだメアリの迫害は、カトリックとスペインに対する憎悪を、国民に植えつけることになった。

1558年、映画でもおなじみのエリザベス一世が即位した。

彼女は、ヘンリ8世の愛人から妻の座を射止めたアン・ブーリンの娘だった。

そのため、一時は王位継承権を剥奪され、監禁状態に置かれていた。

メアリは、国教会をプロテスタントとカトリックの中道に置き、フランスやスペインなどのカトリック国家の圧力をそごうとしたが、それは両派から批判されるという厄介な事態を招くことになった。

なかでも、スコットランド女王メアリ・スチュアートは、フランス国王だった夫の没後フランスにわたり、自分こそイングランドの正統な王位継承権者であると主張するだけでなく、フランス国内でもさまざまな不祥事を起こしてイングランドに逃げ戻った、いわくつきのカトリック派のトラブルメーカーだった。

エリザベスは、メアリを19年間も幽閉したのだが、その間、メアリを口実にしたカトリック貴族の反乱や陰謀が絶えないため、1588年、メアリを処刑した。 この処刑を機に立ち上がったのが、カトリックの大国スペインだった。

スペインは、当時「無敵艦隊」と呼ばれた艦隊をイングランドに派遣した。

だれがみてもイングランド不利と思われた。

しかし、悪天候を味方につけることでイングランド艦隊がよもやの大勝利をあげた。

おりしも、シェイクスピアらによるイングランド・ルネッサンスの大輪の花が咲いていた。

エリザベス1世は「仙女王」と呼ばれ讃えられた。

また、エリザベス女王は、アイルランドへ侵攻すると、原住民を排除し、イングランド人を植民させる政策を積極的に押し進めた。

1603年、エリザベス女王は、この世を去る。

皮肉なことに、跡を継いだのは、処刑したメアリ・スチュアートの子である、スコットランド王ジェームズ6世だった。

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