FUJI-ZONE

□ スポンサー広告 □

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


→ 「スポンサー広告」目次へ戻る
*    *    *

Information

□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(64) アメリカも知っていた日本軍の常套手段

日本軍が「奇襲」をしかけたのは、真珠湾がはじめてではない。
 
1894年7月25日、日本海軍は、豊島沖の清国艦隊を襲撃した。

2日後の29日、今度は陸軍が牙山、成歓の清国軍を攻撃した。

清国に宣戦布告をしたのは、その3日後の8月1日だった。

日清戦争開戦である。
 

1904年2月8日、日本艦隊は、仁川と旅順のロシア艦隊を襲撃。

2日後の2月10日、ロシアに宣戦布告。

日露戦争開戦である。
 

1931年9月18日、参謀本部と関東軍の一部の将校は、奉天郊外の柳条溝で、満鉄の線路をみずから爆破したにもかかわらず、中国軍の仕業とでっちあげた。

関東軍の司令官さえも事前に知らされていなかったが黙認し、宣戦布告をすることもなく、9月21日には、朝鮮から4000人の兵士を満州に進撃させた。

いわゆる満州事変である。
 

つまり、「奇襲」は、日本軍部の常套手段だったわけだ。
 
情報分析・戦略にたけたアメリカのこと、真珠湾への日本の奇襲策などとうによんでいたとしても不思議はない。

現に、1907年7月の時点においても、ルーズベルトは、フィリピンのアメリカ軍司令官に対し、日本軍の不意打ちに対応するための準備を整えておくよう命じているのである。


→ 「雑学(2)……話のタネ」目次へ戻る
*    *    *

Information


+
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。