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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(69) 相撲見物をしたペリー司令長官

日本初の電信が開通したのは、意外に早い。

1869(明治2)年12月25日、東京ー横浜間に敷設された。
 
ただ、「キリシタンの魔法だ」とか「娘の血が電線に塗られている」などという妙な噂が流れて、なかなか普及しなかった。
 
ところで、電信を日本にはじめてもちこまれたのは、このときではない。

ときは幕末、1853(嘉永6)年6月、アメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀沖に現れた。

ペリーは、自由貿易などの諸要求を幕府につきつけるが、幕府はてんやわんや、老中阿部正弘をして来春の回答を約束するのがせいいっぱいであった。
 
翌年1月、7隻の軍艦をひきつれ、再びペリーはやってきた。
 
幕府は横浜で、ペルーとの交渉にのぞみ、日米和親条約の締結調印を余儀なくされるのであるが、このとき、ペリーが持参したのが、電信なるもの。
 
2月24日、横浜に80メートルごとに電柱を立てて、1キロの電線を張り、電信の実験をしてみせた。
 
幕府の役人は、手品もどきの見世物として受け取り、その御礼にと、ペリー一行を相撲見物に招待したのだった。
 
3月3日、抵抗らしい抵抗もできず、幕府は、ペリーの剛力に寄り切られ、日米和親条約締結を余儀なくされる。


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