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□ 雑学(1)……英米小史 □

イギリス小史(8)

10 ナポレオンとイギリス

17~18世紀にかけて、イギリスは、フランスやオランダとの激しい商業戦争に勝利し、カリブ海や北米大陸を中心に植民地を形成する一方、1600年に設立した東インド会社を通じてインドをも支配し、アジアにも進出する。

このような過程で大商人や投資による巨大な利益をあげる大地主が誕生する一方で、賃金労働者をはじめとする下層民衆は、貧困にあえいでいた。

このような二極構造は、19世紀の半ばまで続く。


1789年、フランス革命が勃発する。

危機感を深めたイギリスは、ロシアやオランダ、スペイン、オーストリアと対仏同盟を築き、フランスとの戦争に突き進んだ。

また、アイルランドでもフランスの民権思想が表面化してきたため、1801年、イギリスは、アイルランドを併合する。

やがてフランスにナポレオンが登場する。

ナポレオンは、ヨローッパのほとんどをその支配下におさめると、対イギリス経済封鎖を断行した。

イギリス社会は大きな経済的打撃を受けた。

特に食料の価格が高騰したため、都市部に増加していた労働者の苦悩は深刻だった。

その一方で、国内の農業は著しく発展することになった。

また、革命の波がイギリス内に及ぶことを恐れた支配階級は、団結禁止法を制定し、労働運動を弾圧するとともに、人身保護法の停止などを打ち出した。

業を煮やした民衆の中には、過激な機械打ち壊し運動を展開するものも現われた。

1815年、ナポレオンがセント・ヘレナに流され没して、戦争状態は集結する。



11 産業革命への道

もともと羊毛の輸出国だったイギリスは、15世紀以降毛織物業が発達し、16世紀には毛織物の大輸出国になっていた。

しかし、1551年に「悪貨は良貨を駆逐する」と訴えて、サー・トマス・グレシャムがポンドの品質改良を行なった結果、ポンドの価値が上がって輸出が激減した。

かわって、ガラス製造や製紙、正塩などの新しい製造業が次々と出現する。とりわけ石炭業はめざましい発展を遂げた。

17世紀の前半は、人口の急増、飢饉などが重なって、政治的にも経済的にも危機的な状況だったが、次第に近代的な農業経営が普及しはじめて穀物の生産量が急増し、17世紀後半になると穀物の大輸出国になった。

18世紀になると、増産を続けたため、穀物の値段が大幅に下落した。

しかし、それは都市や農村の庶民にとっては好都合で、彼らの生活水準を大幅に引き上げることになった。

庶民の間で、ビールやジンが流行し、「ジン時代」とも呼ばれた。

ちなみに、イギリスで茶が一般向けに売られたのは、1657年、ロンドンの「ギャラウェイ」というコーヒーハウスにおいてであり、紅茶ではなく緑茶とウーロン茶だった。

紅茶が一般に普及するのは19世紀後半になってからである。


一方、悲惨なのは、植民地の労働者である。

植民地の経済は、アフリカ人奴隷と白人年季奉公人と呼ばれる貧しい移民の強制労働によって支えられていた。

新世界とアフリカのあいだの奴隷貿易そのものも貴重なビジネスだった。

その拠点であったリバプールは大いに潤った。

奴隷貿易は、奴隷貿易廃止法が成立する1807年まで続いた。

18世紀に入ると、さまざまな技術が開発された。

たとえば、1785年、ワットとボールトンが水力紡績機を改良して蒸気機関をとりつけると、立地条件等の制約が解消されて、コストが大幅に下がり、イギリスの綿工業が世界市場を席巻する原動力となった。

また、鉄工業も、ダービーのコークス製鉄法やコートの攪拌式精錬法などの開発で、飛躍的な進展をみせた。

燃料となる石炭業も、ニューコメンの火力機関の発明により飛躍的に産出量を伸ばした。

鉄と石炭という重厚な物質を運ぶために有料道路や運河が盛んに建設された。

19世紀に入ると、スチーブンソンが蒸気機関車を発明する。

そして、1825年にはストックトン─ダーリントン間に史上初の鉄道が敷設され、1850年代には鉄道の延べ距離は6000~7000マイルに達した。

鉄道は国内で運搬の用を果たすだけでなく、「製品」としても輸出された。

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