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□ 雑学(1)……英米小史 □

イギリス小史(10)

14 大不況の時代

世界の工場として一世を風靡したイギリス経済も、1873~1896年にかけて大不況に陥った。

世界市場に進出してきたアメリカとドイツの輸出攻勢に、完全自由貿易主義をとっていたイギリスは耐えきれなかった。

工業はもちろん、農業も大打撃を受けた。

ただ、ふくれあがった赤字は、インドやオーストラリアなどの植民地に対する黒字で穴埋めされた。

特に、インドからは、膨大な貿易黒字を出す一方で、本国費と称して毎年巨額の資金を収奪した。

1876年には、ヴィクトリア女王が「インド女帝」としてインドにも君臨した。


15 アヘン戦争

清朝の時代、中国は日本と同じく、鎖国政策をとっていた。

唯一、広東だけを開港していた。

イギリスは、広東で銀と引き換えに大量の生糸や茶を買い付けた。

しかし、イギリスから持ち込んだ繊維製品の中国での売れ行きは芳しくなかった。

この輸入超過の状態を打開するために考えだされたのがアヘンだった。

インドのベンガル地方で生産させたアヘンを、再々にわたる中国政府の禁止令も無視し、大量に中国に輸出した。

もちろん、密輸だった。

業を煮やした中国政府は、イギリス商館を包囲し、保管するアヘンをすべて差し出させた。

それは、始末するのに20日以上も要するほどの量だった。

これに対してイギリス政府は、「同胞の生命を脅かし、財産を没収したことへの制裁」という手前勝手な理由のもと、艦隊を中国に派遣した。

イギリスの新型武器の前に旧式の武器しかもたない中国軍は太刀打ちできなかった。

1842年、中国は、イギリスとの間に南京条約を結んだ。

香港島を失うだけでなく、巨額な賠償金を支払わされるとともに、イギリス人の犯罪者への中国国内法の適用を禁止するなど、中国にとっては屈辱的な内容だった。

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