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□ 雑学(1)……英米小史 □

アイルランド小史(1)

1 聖者と学者の町

紀元前500年から1世紀初頭にかけて大陸から渡来し定着したケルト系のゲール人によって、アイルランドの歴史は始まった。

ゲール社会は、弱小部族が強大部族に従属し請納することで成立していた。

有名なダブリン郊外の「タラの丘」と呼ばれる遺跡は、3世紀ころ、大部族の長だったアード・リーの砦の跡である。

ゲール人は、ドルイド教という独自の宗教を信仰していた。

しかし、5世紀になって、聖パトリックとその後継者たちによるキリスト教の布教が始まると、争いごとひとつ起こすこともなく、キリスト教信仰に染まっていった。

聖パトリックらの布教するキリスト教が、ゲールの伝統や文化をたくみに取り入れたものだったからだ。

その特性から、ケルト教会と呼ばれた。

多くのケルト教会の修道士たちが育った。

修道士たちは、イギリスはもちろん、ヨーロッパ各地を布教してまわり、多くの修道院を建てた。

アイルランドは「聖者と学者の町」と呼ばれるようになり、多くの修道士がアイルランドに集まった。

しかし、8世紀になると、、カール大帝による「聖ベネディクト会則」遵守の勅令により、反権力的で厳しい修行を要求されるケルト教会は、次第にその影響力を失っていった。


2 イギリスの侵攻


8世紀以降、ゲルマン人やデーン人(バイキング)がアイルランドに渡来してきた。

彼らは、ダブリンなどの海岸都市を建設し定住した。

1155年、イギリス人の教皇ハドリアヌス4世は、イギリスのヘンリ2世に、アイルランドの土地の領有を認める見返りとして、ケルト教会のローマ教会化に協力するよう求めた。

この協力要請は、その後のイギリスによるアイルランド侵攻のきっかけとなるもので、そんな要請はしていなかったという否定的な見解もあり議論の的となっていたが、今日では事実として認知されている。

要請を受けたヘンリ2世は、アイルランドに上陸すると、アイルランド太守の称号を贈られた。

これを境にイギリスから多くの貴族たちが押し寄せ、土地を奪い合った。

彼らは、わずか半世紀ほどのあいだに、アイルランドの半分以上の土地を奪取した。

ただ、彼らは、婚姻等を通じ、次第にゲール化していった。

そして、イギリスが百年戦争やバラ戦争に明け暮れているあいだに、アイルランドの自治的な支配層として君臨するようになった。

事態を案じたヘンリ8世は、軍を派遣した。ダブリン議会は、ヘンリ8世にアイルランド国王の称号を贈り、アイルランドの正式な統治者として認めるほかなかった。



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