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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(21)日本人全選手が途中棄権したオリンピック大会

 近代オリンピック大会は、1894年にフランス人のクーベルタンらが提唱して、1896年に第1回めがギリシアのアテネで開催され、以後4年に1度開催されている。

 日本がはじめて参加したのは、明治45(1912)年の第5回ストックホルム大会である。参加国28か国、参加選手数2541人で、当時としては大規模な大会だった。

 日本からの参加選手は、陸上短距離の東京帝国大学生・三島弥彦、マラソンの東京高等師範学校の金栗四三の2名だった。

 シベリア経由で、ストックホルムに乗り込んだ選手らは、1912年7月6日、3万大観衆の中をイタリアに続き9番目に行進した。

 旗手の三島、国名標をもつ金栗、嘉納治五郎、大日本体育協会理事の大森兵蔵監督、田島錦博士、内田公使の総勢6名だった。

 成績は、惨憺たるものだった。

 三島は、400メートルの第1次予選こそ通過したものの、次の準決勝は棄権、金栗もマラソン15キロ過ぎあたりで棄権したのだった。

 成績はさんざんであったが、大日本体育協会も設立したばかりで、国際競技会はいうに及ばず、国内においても組織的な競技会すら行われていなかったのだ。

成績云々は二の次。国を代表し、はるばるシベリア経由で参加しただけで大いに意義ありというべきであろう。

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