イギリス小史(2)
3 アングロ・サクソンの渡来ローマ帝国による支配が終焉すると、台頭してきたのがスコット人だった。
スコット人の迫害を恐れたウェールズやコーンワル半島のブリトン人は、大陸に渡りブルターニュ(「ブリトン人の地」という意味)に住みつき、そこは「大ブリテン」に対して「小ブリテン」と呼ばれるようになる。
5世紀なかば、もともとはドイツ西北部に住み、ゲルマン民族の一派であるアングロ・サクソン人の軍団が大挙して押し寄せてきた。
ヨーロッパ全域に及ぶゲルマン民族の大移動の一部だった。
ブリテン人との抗争は熾烈をきわめたが、アングロ・サクソン人はしだいに勢力を西へ、北へと拡大していく。
しかし、1人の戦士がブリトン人を鼓舞し、バドニクスの丘の戦いでアングロ・サクソン軍を撃破する。
彼こそ「アーサー王」のモデルといわれる人物だ。
以後、半世紀に渡り、アングロ・サクソン人は来襲の機会を失うことになる。
しかし、6世紀半ばから再びブリテン侵攻を開始したアングロ・サクソン人は、7世紀のはじめころまでにはブリテン南部の大部分を勢力下におさめ、「イングランド」として支配した。
ケルト系のブリテン人は西部や北部に追いやられ、アングロ・サクソン語(古代英語)の使用を迫られることになった。
4 イングランドの統一アングロ・サクソン人がブリテン人を支配下に置くと、今度はアングロ・サクソン人の集団同士が抗争を繰り返した。
その結果、6世紀末ころには7つの王国にしぼられ、互いに激しく覇権を競った。
勢威はめまぐるしく移り、9世紀に入って優位を得たウェセックス国王エグベルトに至ってやっとイングランド内は統一された。
→ 「雑学(1)……英米小史」目次へ戻る
Information