話のタネ(25) 未公認・初ジェット飛行
ジェット機公認第1号は、1940(昭和15)年4月27日、イタリアの「カプロニ・カンピーニN1」。
最大速度330キロで、プロペラ機よりも遅かったが、これに刺激を受けて、翌年にイギリス(最大速度544キロ)、さらにその翌年にはアメリカ(最大速度665キロ)が、ジェット機の初飛行を成功させている。
日本はというと、終戦もおしせまった1945(昭和20)年8月7日のことで、木更津海軍基地で行われ、高度600メートル、時速315キロを記録した。
もっとも、日本で最初にジェット機開発の必要性を説いたのは、スイス留学から帰国した種子島時休(当時、海軍機関少佐。
日本で初めて鉄砲をつくった種子島時暁の末裔でもあった)で、昭和13年のことだった。
しかし、誰も彼の説に耳を傾けなかったのである。
さて、イタリアの「カプロニ・カンピーニN1」が公認世界第1号であるが、公認とくれば未公認があるもの。
未公認とはいえ、文字通り、世界で最初にジェット機をつくりだしたのは、ドイツ人のエルンスト・ハインケルという技師だった。
1939(昭和14)年8月24日、北ドイツのロシュトック市郊外のマリーエンエーエ飛行場で、機名「ハインケル178」、幅8・13メートル、長さ7・49メートル、重量2000キロのジェット機の試験飛行を成功させた。
最大速度は時速700キロで、後のイタリアやアメリカ、イギリスのジェット機よりも速かったのだ。
ただ、この素晴らしい記録も、彼の容貌がユダヤ人に似ているといって、ヒットラーが毛嫌いしたため、正式な記録として残されなかったという。
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