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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(35)日本で初めてのボーナス

サラリーマンにとって、なんといってもうれしいのがボーナス。

このありがたい賞与制度をわが国で初めて取り入れたのは、当時海運界を牛耳っていた三菱商会で、明治9年のことである。

歳末賞与として約1カ月分(平社員5円)を支給した。
 
日清戦争後になると、紡績会社や百貨店などでも、利益に応じてボーナスを出し始め、明治26年には、三井に入社した中川彦次郎が、優秀な人材を集めるために、年2回のボーナス制度をもうけた。
 
大正期になると、月給4カ月分のボーナスを支給する会社も出てきたが、2カ月分がふつうであった。
 
ただし、工員は、かなり格差をつけられ、ストに突入するケースも見られた。

大正5年の芝浦製作所のストでは、月給の30分の1を支払えと要求している。

このような不平等が是正されたのは、第二次世界大戦後、労働組合が力をつけてからのことである。
 
また、休日に関しても、明治9年3月12日に、日曜日を休日、土曜日を半休にする太政官布告が出て、官庁と学校がその対象にされ、大企業や銀行もそれに続いたが、日給労働者たちは、休めば収入に響くため休日制に不満であった。
 
紡績工場の女工たちにいたっては昼夜交代制の過酷な労働条件を強いられ、休日を与えられることさえ希であった。

大正5(1916)年の工場法で、やっと労働者15人以上の工場は、女史と未成年者に休憩時間、月2回の休日を与えることが義務づけられたに過ぎなかった。
 
ちなみに、オランダ語の休日Zondagがなまって「ドンタク」となり、半休の土曜日を「半ドン」というようになった。


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