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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(40) 新聞黒枠死亡広告第1号は?

新聞の社会面の下段に死亡広告の欄がある。

太い黒枠で囲まれているのも今では常識だが、はじめて黒枠が使用されたのは、明治11年、東京日々新聞に掲載された後藤象二郎の四女の死亡広告で、広告主は、岩崎弥之助だった。
 
今では、死亡した人の肉親が広告主となるのが当たり前だが、当時は、この例のように、肉親以外の人が広告主となることも多かった。
 
明治20年には、とんだ死亡広告騒ぎが起こっている。

ある新聞に跡見女学校の創始者である跡見花蹊女子の死亡広告が出た。

広告主は、従姉妹の跡見玉枝と山内島とある。
 
ところが、当の本人は健在で、「私の死は事実無根、玉枝は当家には一切一切干渉することができない者、山内などという人にいたってはぜんぜん知らない」という広告を出した。
 
すると、今度は、玉枝女史が、「私も、広告を見て驚いた。だれのいたずらかしら。当方も山内という人など知らない。このインチキ広告と私は一切関係ない」という弁明広告を出すにいたった。

実にいきいきとした広告合戦ではないか。

ともかく、広告の掲載誌はニンマリ。
 
明治34年、中江兆民という無神論者の死亡広告が出された。

生前、友人の板垣退助らと相談しておいたもので、「告別式」という言葉は、この広告のなかで使用されたのが最初である。

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