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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(42) 天皇を祝す唱歌だった「君が代」

「君が代」が国歌として法定されたが、「君が代」がどのようにできたかとなると、いまいちはっきりしない。
  
「君が代」の原曲は、明治2年、鹿児島藩の軍楽隊長を務めていたイギリス人のフェントンが指揮する音楽に心打たれた砲兵隊長の大山巌や御親兵隊長の国津鎮雄らが新たに作曲してもらったもの。
 
歌詞の「君が代は千代に八千代に……」は薩摩藩の奉祝歌として歌われていたものだが、古今和歌集(巻第七賀歌 三四三の読み人知らず題知らず)にも同じ歌があり、これが「君が代」のもととなった。
 
しかし、この原曲が歌詞にあわず歌いにくかったため、明治9年、海軍軍楽隊長の中村祐庸は、 「天皇陛下を祝する楽譜改訂の儀上申」という建白書を提出し、フェントンらと共に、宮内省式部寮雅楽部に作曲を依頼した。

そして、宮内省の林広守の作曲した曲を、海軍省教師だったドイツ人のエッケルトが編曲して、現在歌われている「君が代」が誕生した。
 
明治13年11月3日の天長節(天皇誕生日)に、はじめて明治天皇の前で演奏され、明治26年8月12日に、「君が代」は、小学校の儀式唱歌(祝祭日に行われる儀式の際にうたう歌)とされた。

以来、事実上の国歌として歌い継がれることになったわけだ。



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