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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(53) 変わった名字ができたわけ

明治3年、「平民名字許可令」が発令され、一般人もようやく苗字をもつことが許された。

昨今のドメイン獲得さながら、人々がわっと名字登録にはしったかというと、これがあにはからんや、不人気なことこのうえなかった。
 
というのも、それまで、農民や商人のなかにも「名字御免」といって特別に名字を許される者もいたが、たいはんの人々は、それこそ先祖代々名字なしで暮らしてきて、そのことでなんら生活に不便を感じていなかったからだ。
 
また、当時、政府の機構や政策はめまぐるしく変わって信用できず、明治4年には戸籍法が布告されて、名字許可が徴税策の一環ではないかと、人々は警戒したのだった。
 
5年に「登録済みの氏名改名禁止」令が出たことも、「ここまでして、政府はいったい何をもくろんでいるのか」と、人々の疑心暗鬼に拍車をかけることになった。
 
そのため、政府は、おきまりの強権を発動する。明治8年2月13日、「平民名字必称義務令」を出し、名字をもつことを許可でなく義務として強制したのだった。
 
人々は、従うしかなかった。

「やむなく」「とりあえず」といった調子で名字をつけた人も少なくなかった。

平目、浜地、大根といったように魚や野菜の名前をつけたり、女好きなので女楽とか、屁こきだから辺春とつけたり。
 
なかには、「ええい、めんどうだ。この村の者は全部同じにしよう」というようなケースもあった。
 
自分の名字がなんだかヘンという人のご先祖は、無類のめんどうくさがりやであったということか。

いやいや、ユーモア精神旺盛、反骨精神旺盛だったというべきであろう。
 
ともかくも、こうして13万ともいわれる世界最高数の名字が誕生することになった。

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