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□ 雑学(2)……話のタネ □

話のタネ(54) 明治5年は12月2日で終わった

1年の最後の日は、12月31日である。

ところが、きっかいなことに明治5年は12月2日で、その年を閉じてしまい、翌日は明治6年1月1日となった。

それこそ年末商戦もお手上げだった。
 
日本で正式に暦が使われるようになったのは、推古天皇12(604)年の正月からである。

太陽の運行も参考にするが月の運行を基準とする太陰太陽暦を中国から輸入したのであった。
 
以来、中国製の暦が使われたのだが、1000年以上も経過した貞享元(1864)年12月になって、はじめて国産の貞享暦を採用し、その後宝暦・寛政・天保暦と改良を加えていった。

ただ、あいかわらず太陰太陽暦であったために、太陽暦を使用する欧米人との商談や交渉に不便をきたすことこのうえなかった。
 
そこで、明治新政府が、欧米諸国と同様に太陽暦を採用することとしたため、明治5年12月3日を明治6年1月1日に変更余儀なくされたという次第。
 
ただ、太陰暦と農作業などの行事が深く結びついていたので、一般的には、明治末まで新旧の暦が併用された。


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